慢性疲労の中で

 

  書きたいことが 浮かんでくるけど

  体が 全く動かず  ノウも言う事をきかない。

 

    が

  精神もだいぶ むかしのはなし から逃れ、 前が見える。

   のと   本が面白い。 

 わたしはあまり 推理小説やミステリーものには興味がなく

  好ましく思ったことがないのですが。 いやこれが中々、 おもしろい

 

  それに 独特の話の切れ が好ましい 「猫丸先輩シリーズ」…

 

   推理のわからなさ 漢字の読めなさ、話の納得のいかないか所 あれど。

    ぶつかってくる思いと 話の切れが 最高すぎてきもちがよい。

     本は 捨てたもんじゃないと  また思う一つになりましたよ。

 

 

 

 

  

 

   

  さて   忙しいあたまに 疲労したのうでは

  これまた なかなかうまく思考が 働かないので 参考書物を チラチラみながら

   整理し述べていこうと。

 

 

 

二冊の本を読み終え

 思うことがいっぱい  他でまとめようとしているのですが。

 

  スピノザのエチカの解説では。

 

  

  近代の人々は 意志教なるものにすべての軸があると

   つよく信じて疑わないのだといいう事

   意志は存在するし、意志があるから人は 行動するけれど

 

  私たちの身体は 万物の表現体であり 

  それを操る糸は 複数の 無数の糸が。

 

  私たちの 体で表現するため に在るのだという事。

  沢山の糸、複数の力の根源があって 影響し意思となったり 

   また無意識の反応で 行動するのであるという事

 

 

 

 個人の意志一つで 物事はなりえないし、 

 原因ではない 意志一つで 物事の決定打になってるわけでない、

 

 意志は意識できるものだけど

 意志が自由になるための 万物でなく 万能でないのに。

 個人の意志を 常に 問う

 

 根源と見る この世は かなり説明のつかない無理な社会なのだ。

 

 

 

そして

 自由であるためには それぞれのコナトゥス(傾向のちから)を知り

  そのちからを縦横無尽に扱い表現できるようになること である。

 

 

 

  という エチカの教え、

 

 

 

 

 

 

 

  それと AIが人間に近づくというけれど、

  むしろ人間がAIに近づいていくという 作者の表しは深いかな

  万能な人間を求めていくうちに 人間は人間特有の 感情、想像性を失って

  一定のリズムを 刻んでいく  ただの機械化に近づく可能性の方がでかく、

   そこに 情緒は見られなくなってしまう。

 

 

    とさ。

 

 

 

 

 

 

 

 何とも頷きがたい話で

 でも納得してしまう、

そんな風に 滅んでいきたくはないな

 

 

 

 

 

   もう一冊の 戒めになる 言葉では

 

 

  人のノウの 最も重要な機能は

  一般に思われているかもしれない、個性的な思考をすることでなく

 普遍的 根本的には誰でも通用する、そういうことを思考すること

 

  相手と 違いと 共通し通じ合う事

 

  それを  喜ぶことかもしれない  と。

 

 

 

  つい  人と違うこと を気に病み、 

   過剰に反応し、 その個性を棚に上げがちな私には。

 耳が痛い だけどもこれまた 納得いく。

 違う事 今にないことを探るのに 価値はあるけど。

 

  やはり 根本ではなく、

  それ抜きには 本来の楽しさ や さみしさを拭うには十分でない

   かえられない 人間の本質

   ヒトの 一番の課題なのだろうな。