omoituitakoto に 動作が追いつかない

  くやしい

  し、 もったいない。 ああ楽しさが消えていく、

 

 

  なぜだ

 

 

 

 

 

 

 

 

  取りあえずは、 キーボードに触れて 思い出す事を

   述べていくしか…

   

  メモの 頭の中のメモの仕方を、新たに開発したいものです。。

 

 

 

 

 

 

 

 

    突然ではありますが。 単なる私の 突発的な興味なのですが、

 

      古墳は、 グローバル化により、その存在は過去の文化?となったそう

 

     まあ なんでもいつでもそうですが、 

       べつに古墳に限らずでは ありますが。

       なんだろう 単なる突発的な個人的な興味なんですが。

    

     消えていく 文化やしくみ 様式や常識

      分かっていながらも、 わたしの脳の特性のせいもあり。  

      なかなか しがみついていて、 受け入れられない。 

       新しいモノ たちに対する免疫をもてずにいたりするのですが。

 

    

    ああ  なんか 古墳が消えて。

     必要性がなくなって 埋葬の仕方 権力のしくみ表し方が変わって、

     文字 で意思疎通して  常識がかわり 生活が変わって ああ

 

     消えるんだな   そんなものがある。 

      と思うと

 

 

    なんか  今ある日本の文化  も

 

    個人的に 知り合いが呉服に関わっていることもあり、

     服飾に携わっていたっこともあり、

     ふるき日本の良き ものたちは きえていくのだなと  しみじみ感じた。

 

 

   勿論  全てまっさら 

 

   何も残らない わけで ないけど。  見方によればもう消えるのだと。

    分かっていながら も

    残そう 良さを残そうと することは 続くし あるけど。 

    必要な取り組みですけど。

 

    

 

   消えていくんだなー     と。

 

 

   そして  流れは止められないし 止めてはいけない。

   

 

  生きていて 対流することの大切さに けっこう重きを置いてるのですが、

    それは  私自身が停滞しやすいので 戒めでもあったりするのですが。

 

    組織においても 

    家族、家の中でも 人との関りにおいても

    自分の思考や 生活の行動についても

     知識の 学問の学びについても

 

     こころの  状況も なんにおいても流れがあり 常に

     見えない 対流が存在し 滞りを作り出してはいけないのだと。

        

 

    前に

 

   鉛筆で書く方丈記という  字の雑さをどうにかしようと

    したことがあるのですが (まだ字の汚さは健在)

 

    鴨長明さん の生きることに対する 感覚が

     川のように流れ 泡がたっっては 消え 

     との 見方には あほな私ながらに 同意でき、 流れ という見えない感覚との何回目かの再登場であったり、しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  さて    話は戻り。

   

  消えて なくなる。 のは

  

  人が死んで なくなり 意識や思い がどこにいくかは

   専門家でないから知らないのだけど。

 

  宇宙に行くのか なくなった人の存在をどう捉えていくのか

 

  消えていくその さまは 同じで

  おなじ死で またどこか違う形に のこる。

 

  そんな流れは 必然でどんなものもおなじなのだね。