幾度なく立ちはだかる 精神ヒロウ

 

 眠いそして しんどい、

 幾度となく 前触れもなく立ちはだかるそれは。

 

  今回もやってきた、 時間がたつにつれ思う、それは

   わたしの 精神せいちょう の為に わざわざ用意してくださった、 ふみだい

    もしくは 、成長剤か何かなのだろう。

 

 

 

 そこから  えられるじぶんの狭き思いの気づき は

 

  かなり  しんどい、

  そして かなり初歩的なミスに 打ちひしがれることになる。

   

具体的に言えば、

 今回のは親しい人との別れ で もうそれこそ幾度も

 話し合いしてはの またの話しなので  驚くことではないのですが。

 

  悲しくしがみ付いて いたい過去

 認めたくない未来 かわる関係   に

 

   

    

    とまどいはかなりデカいもので

   

  いやしかし、

 

  

    思う形は 変えられる。

   どの 姿がいちばんなのか なんて

   それも 思い次第、

 

 

 

    

    一緒になることが  すべてではない よ

 

 

 と   良いたとえとして かの有名なスネイプ教授 をごらん  と

    きもちの  在り方に 善し悪しなく 

     形の違いで 思いの深さは測れませんと  な。

 

 

     そんな  おおきなこころもちで居たいかな。

 

 

 

    思い出も 思いの品も 手放すのでなく、

     ふと 私の思いに寄り添う モノに なってくれればいい。

 

 

    そう ありたいものです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

    

 

  最近は 会話をすることにも少し慣れてきて

 

  じぶんのどこを伸ばせば

  社会で通用する、 カバー力になる、のか

 

  よく見えてきました。 手元の 手段になりうる、ものが 

   増えてきたように感じます、

   もっと 確実に使えるようにならないと いけませんが。

 

 

    そんなこんなは

    でわ また今度。