過去という かセクシャル的な はなし

   セクシャル

 

 

  ふつうの 女性。

 

 

 25年間 生きてきた、 男性は苦手 

 

 印象に残ってるだんせいが 比較的、ヒステリーな方が多く。

 恐怖が かなりあり、近づきがたく…

 

  あと    小学生の頃 担任の先生が

     すこしアブノーマルな雰囲気 を持っていらして、

      雰囲気てゆーかね。 じじつアブノーマルなかんじで

      その後  何年後か アブノーマルで捕まってしまわれたのでありまして

   その方、 ヒステリー要素も 抜群に秀でておりまして…

 

 

   

  そのせいあって   毛嫌いは わたしの性質に なりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  恋愛もの は普通にすき

 

 エロも えろがにんげんの すべて といってもなほど

  ふつーに 受け入れられます。

 正直  えろは よい。

 

 

 

  だけれど 人を好きになる 点で、

 なにか 中学生頃かな、 違和感のような まわりと違うような 違和感は

  ありました。 好きにはなります、 顔が やさしさが なんとなくな カッコよさの 好み。    その場のふいんきの好き、

 

 

 近づきたい 話がしたい こんなこと したい。

 

 

  でも  

  なぜかな 

 目の前に  男性というものを 前にし、ドキドキしても

  その先  とやらが  崖のように なにもないのです。

 

  好ましさ 高揚感はありましたが、

 触れることの抵抗感  男性に 密着された時の虚無感、

 男性に 気を許す、性的に

 何かされる側に立たされる ことの 嫌悪感。

 

 虚無感 が続き 強制感に変わり  煩わしさになる。

 

   密着感

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 原因が  私の性格なのか

    過去の記憶なのか 

     好き  ではないのか

    偏見 や   adhdやらの新しいことへの奥手さなのか

    

  ただひたすら恐怖 なのか

 

 

 誰かと 楽しさ快感を 共有することを知らない

   又は、 知りたくない個人で完結させてしまう。

   世の中の近代てきな 趣向なのかも、

 

 

 

 

 

  崖なのです。

 

 押されても すすめないし なんもない。

 

 なんもない のに、 求められれば 嫌になり嫌悪になる。

 

 

    理由が なんであれ、

   そういった  枠を    ノンセクシャル

 

   呼ばれる、種が出来上がったそうで

   社会のすみで

 

 

 

     

 

 

 

  体を 求めるすき がないため、

 人間的な好き 友達 女性 家族 ひとがすき

  の区別が  分かりずらくなってるようで。

 

  おんなじ 感覚のたいせつさ と見ているのです。。

 

   でも

  メディアや本能的なのか 刷り込みなのか

  男性に恋をし、 性的な対象で、一緒になる。

   ことが 基礎にしっかりあるようで。

 

  男性にを対象と 常に見てはいるんですね。

 

   「 なら、 男性のすきと

           人としてのすきの違いはあるだろう?」

 

  と    よく言われるのですが、

 

 

 

 

   筋としては  理論的にはそうなんだけど、

   違うんだな、 そうではないらしんだ。

 

 確かに  大切の度合いが大きく感じられはすることも

      あるけど そこに具体的な違いがない、

 

   そんな   よくわからん

状態。

 

 

ノンセクシャル

 

 

 

こじらせてる

みたく いわれんのかな。  でも触れたくない こわい

 

 は、 好きだったら乗り越えられんですよ、 ある程度。

  まあ、される側の嫌悪感は 強く根付いているけど、

 

 ガマン や譲歩というコトバが  ありますからねえ、

 

なんとか

 

 

 

 

でも  虚無感には

 太刀打ちできませんで。

 

 

  なんにも  ないのに

 

ある

 

とは、  こころに言い聞かせられんで 困りますね。

つらい

 

性欲を 他者に抱く    目の前の男性に性的な高揚感を

 

  と言われましても。

 

 

 無   なんです、

 

 抱けません。